さて、もう一つ豪華な内装でため息が留まらないウィーン美術史美術館は是非とも訪れていただきたい場所の一つです。
こちらの正式名は [Kunst Historisches Museum]で、自然史博物館と対になるものとして建てられ、1891年開館。
現在は組織上ウィーン大学の一部局となっています。
ここウィーン美術史美術館はルネサンスの農民画家と言われるブリューゲルのコレクションが多く、世界最大、門外不出のコレクションとして世界中に知られており、「バベルの塔」「狩人の帰還」「農民の結婚式」etcブリューゲルが目白押しです。
その他レンブラントやフェルメールも所蔵されており、これらの絵画の状態が大変良く保存され、芸術鑑賞にふさわしい空間に展示されているのも美術好きの方にとって是非訪れていただきたい場所です。
カールスプラッツ駅舎(Karlsplatz) セッセシオン(Secession)分離派会館
街中を歩いているとカールスプラッツ駅舎を発見。
カールスプラッツとはカールス広場という意味で、建築家オットー ヴァーグナーの作品です。*1)ユーゲントシュティール独特の雰囲気がデザインや建物の細部に亘って、感じ取れます。もう一つの黄金のドームは*2)セッセシオン(Secession)分離派会館です。ここには有名なグスタフ・クリムトの連作壁画「ベートーベンフリース(Der Beethovenfries)」が展示されています。
シュテファン大聖堂(独Stephansdom)はウィーン中心部にあるゴシック様式の大聖堂。ウィーン大司教区の司教座聖堂であり、シュテファン寺院とも呼ばれ、この建物もまた世界遺産に指定されています。
町中に世界遺産があるオーストリア・ウィーンですが、この国の世紀末芸術*3)ユーゲントシュティールを代表するグスタフ・クリムト(1862-1918)をご存知ですか?
「接吻」「ユーディット」「ベートーヴェン・フリース」 などの作品を残した画家です。
内部の装飾を観察しているだけでも細部にまでわたる繊細なデザインと彫刻がこの建設に携わった職人さん達の腕の確かさを物語っています。
ラテン語で「美しい景色」という名のベルベデーレ宮殿。
300年位前のオスマントルコとの戦いで有名な将軍オイゲン公(独)の夏の離宮として造られた贅沢な宮殿です。上宮・下宮間の斜面に広がるバロック庭園の眺めの美しさが有名で、世界10大美景と称されています。上宮はグスタフ・クリムトの「接吻」で知られるウィーンの3大美術館(美術史美術館/レオポルド美術館(独/英/日))の内の一つ。
ベルベデーレ宮殿の庭園は美しいシンメトリーのフォーマルガーデン(整形式庭園)です。
クリムトの「接吻」(独: Der Kuss, 英: The Kiss) (インターネットより引用)
当時芸術家仲間に広がっていたうわさによれば、『接吻』に描かれている男女は、グスタフ・クリムトと、その生涯のパートナーであったエミーリエ・フレーゲであると言われています。
彼女は職業を持ち、自由で自立した人生を歩んだ当時ではたいへん進んだ女性だったそうです。
ベルベデーレ宮殿の美術館に所蔵されている図書館と書物。
こんな光景を見ているだけで、当時のハプスブルク家の権力が伺えます。
*1)ユーゲント・シュティール(Jugendstil )は、1896年に刊行された雑誌『ユーゲント』(Die Jugend )に代表されるドイツ語圏の世紀末美術の傾向。
*2)セッセシオン(Secession)・・・19世紀が終わろうとする寸前、一群の芸術家があまりにも保守的で堪え難いと、ウィーンの芸術権威団体であるキュンストラー・ハウス(芸術家協会)と縁を切って「分離」し、「セセッシオン」と名付けた団体を旗揚げしました。
*3)1683年のオスマントルコの第2次ウィーン包囲で始まった戦争を勝利に導いた将軍、プリンツ・オイゲン(1663~1736年)の夏の離宮として18世紀初めに建設され、その後、皇后・オーストリア大公マリア・テレジアに売却されハプスブルク家の所有になりました。